ながらくお待たせしました。

                          



 これから少しずつ掲載していこうと思います。
寺の信者さんあてに「東照だより」なるものをお彼岸、お盆の時期に発刊していますが、
今回その文章を転載いたします。

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東 照 だ よ り   平成22年9

 閻魔(えんま)大王

   皆さんもご存知のとおり、閻魔大王は地獄絵の中で、ひと際大きく描かれ、地獄の主として亡者を裁く裁判官であります。最近は知りませんが、以前はよくこの地獄絵を見る機会があり、悪い事をするとこんな目に遭うんだよと諭され、地獄を怖がり、そこに追いやる閻魔大王を恐れました。
  閻魔大王については、インド神話の中に記載されています。元々は「
Yama」という名前で、その音訳から「閻魔(えんま)」と呼ばれ、実は人類史上最初の死者なのだそうです。初め極楽におられたが、その極楽に悪人もやって来るので、これらを区別するために地獄が創られることになり、その監督官に命じられたのがこの閻魔だそうです。

 人は亡くなると、次の行き場が決まる迄に49日を要すると言われ、その間7人の裁判官がそれぞれ7日ずつ担当するのです。閻魔大王はその5番目に登場し、この時点でも未だ反省がなく嘘をつくようであれば、即座に舌を抜くことで知られています。
しかし、本当に閻魔大王は恐ろしい存在なのでしょうか。よくよく見ると、閻魔大王自身は、自分の考えや感情で、人を苦しみに陥れたりすることはありません。亡者が嘘を言っているかどうかを判断するにも、彼は「えんま帳」なるものを用いて、生前の全ての言動を調べ、また浄玻璃(じょうはり)の鏡で生前の行いを映し出し、その結果を見て、地獄行きか極楽行きかを命じています。常に客観的な資料に基づいて「ただ裁いているだけ」なのです。
  確かに閻魔大王の形相は恐ろしくはありますが、それより自分の悪い行いを徹底見抜かれることが怖いのです。何故なら、その後に誰にも文句が言えない因果応報の裁きが待っているからです。
   仏教で説いているのは、「因果応報」これだけです。良い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生むのです。勿論、結果が出るまでに時間を要することはありますが、一旦作った原因がうやむやになることは決してありません。
  閻魔大王の仕事は、生きていようが死んでいようが、因果応報からは絶対に逃れられないことをハッキリ示すことです。つまり、閻魔大王とは、実は因果応報が擬人化されたものです。自分の因果応報の姿そのものが閻魔大王なのです。
   因果応報ゆえに、自分の行いひとつで地獄に堕ちる恐ろしい存在ともなり、また極楽に導いてくれる有り難い大王でもあります。閻魔大王の現世でのお姿が、実は地蔵菩薩であるというのも、うなずける話であります。
                    


         東照だより   平成22年7月

『福』
 わしゃいらん


 先日、禅僧の墨蹟リストを見ておりましたら面白い書が目に付きました。それは、誰かに頼まれて書かれた色紙なのでしょうか、中央に大きく「福」と書かれてあります。これだけなら特に何の変哲も無い色紙なのですが、その横に小さな字で「わしゃいらん」と書いてあるのです。一体、誰の書なのかと気になって見ましたら、それは元臨済宗妙心寺派管長の故・山田無文老師の書でした。
    実は、山田無文老師とは40年以上前、私が高校生の時に一度お会いしたことがあります。禅の高僧という評判でしたので、疑問だらけだった私は「まず、あなたは悟っているのですか。もしそうなら悟りとはなんですか。」と訊ねようと思っていました。しかし、そのころから私は何を言い出すか判らない要注意人物と周りから思われていたようで、老師に無礼があってはいけないという取り巻きの危惧から、私は別室に隔離され、遂に質問が出来なかったという想い出があります。
   それはそうと、この「福 わしゃいらん」というのは、全くそうでなくてはならないのです。これは本当の福がわかっている人の言葉です。
 通常、人は色紙に何かを書いて貰うときには「福」とか「寿」とか有難い言葉を希望します。そういった時の「福」に対するイメージは、「幸福」すなわち、皆が仲良く、健康で、地位や財産にも恵まれていることでしょう。
 しかし、「幸福」を求めるということは、つまり、未だ「幸福」を達成していないということでもあります。人は何とか「福」を達成させようと頑張ります。しかし、人生、いろんな事が起こります。病気や災害、思いもかけない事故、いくら「福」を願ったところで、そう希望通りにはいきません。現在「福」と思っても、いつ禍に転ずるかわかりません。何か問題が起こるたびに狼狽するのでは仕方がありません。
 そうであれば、一体、本当に「福」を達成するにはどうしたらよいのでしょうか。それは、結論から言えば、幸、不幸を考えることなく、たった今の現状とピタッと一つになって生活するという事です。何が起きても、そのもの自体と一つの時は、迷いはありません。
 だからといって、何でも現状と一つになってさえいれば良いと言うことではありません。善い事はどんどんやり、悪い事は遠ざけるのです。体の具合が悪ければ医者に行き、なるべく長生きするよう養生するのです。しかし、同時に、病気の時は病気のまま、死ぬ時は死ぬままです。ここに落ち着けない限り、本当に安心を得た人とは言えません。
 「究極の福」とは、何が起きてもそこに落ち着ける精神です。そこに妙な「福」とか、そんな分別を持ち出してくると、かえって迷いの種となります。
  実に「福 わしゃいらん」と言い放つ精神こそが、よそ見をしない本当に福に満ちた生活をもたらすのです。                                   


            東照だより   平成22年3月

篤 子
   学校、職場、あるいは家庭において、いわゆるいじめや理不尽な意地悪は、さしてめずらしいことではないでしょう。馬鹿馬鹿しいことでありながら、当人にとっては深刻な悩みの種となることがあります。
    これは嫁姑の一例ですが、税所篤子(さいしょあつこ)という人は、宮中の歌会に招待されるほどの歌人で、35年間いじめ通した姑に一度たりともいやな顔をせず「お母様、お母様」と言ってにこやかに仕えたそうであります。しかし、姑はそういうことすら癇に障り、すべてを益々悪くとって更にいじめ続けたのでした。





















 ある日、近所でも評判の悪いこの姑が外出した折に、近所の青年に「鬼婆々のお出かけ」と囁かれ、これが耳に入ったものですから、怒り心頭に達して帰宅してまいりました。そしてその怒りを篤子に向け、呼びつけて「あなたは評判の歌人だけれども、今日は私が下の句を作ったから、これに上の句を付けておくれ」と言いました。
 その下の句とは、『鬼婆々なりと人や云うらむ』というものでした。
 いつも意地悪な私のことを、人はさぞ鬼婆々と呼んでいることだろうという訳です。
 これに上の句を付けろと言われても、どう付けたところで下の句が『鬼婆々・・』ですから何ともなりません。実に意地悪ですね。
 しかし、篤子はこれに対して即座に上の句を付けました。

『仏にも勝る心と知らずして』と詠んだのです。
『仏にも勝る心と知らずして、鬼婆々なりと人や云うらむ』

嗚呼、常にそのような心で接しておったのか。そうでなければこのような句は直ぐには出ない。私が悪かった許しておくれと、姑はここで初めて心を開いて泣いて謝ったそうであります。実に、人を憎まない・怒らないということは偉大な説法であり、人を動かす力があります。

衆生本来仏なりと深く得心していた篤子にとって、すべては仏のはたらきであったのでしょう。釈尊の悟りは天地すべてが仏であったと見破ったところにあります。山も川も人も犬も、もともと名前もなければ境界もない。宗教も哲学もない無我無心・純真無垢の丸出しがその真の姿であります。これを仮に名付けて仏と呼びます。
   ところが、本来仏でありながら地球上殆んどの人は、そこに勝手な理屈を付け、我を作り上げ、自他の対立からいじめや意地悪を繰り返しています。しかし、その出どころは全くの仏なのです。ただ、迷いの夢から覚めないでいるだけなのです。どうしてこれを憎んだりできますでしょうか。




















                           


    東 照 だ よ り   平成21年9月

豆腐買いの小僧さん
 自身の体験によって、本当に得心したところから出た言葉には力があります。

 一方、そうでない場合には、すべては絵に描いた餅・付け焼刃で役に立ちません。同じ言葉でもそこには天地の開きがあります。

 昔、ある寺の小僧さんが和尚さんに頼まれて毎朝豆腐を買いに行っていました。するとそこに、一人のお爺さんがいつも門前に座っていて「小僧さん、小僧さん、どこへ行く」と聞くのです。小僧さんは「豆腐を買いに行く」と答えるのですが、それが毎朝同じ質問をするのです。豆腐を買いに行くのは分りきっているのに何故毎回同じ質問をするのかと小僧さんはいい加減うんざりです。明日も「豆腐を買いに行く」と言わなければならないのかと思うと憂鬱でたまりません。

そこで、和尚さんに相談してみると、和尚さんは「そうか、それじゃあ今度聞かれたら、『西方浄土へ行く』と答えてみたらどうかね」と言いました。小僧さんは、「なるほど、これならいかにも仏教的で、あの爺さんを煙に巻いて黙らせるにはピッタリだ」と思い、明朝を楽しみにしておりました。

案の定、門前のお爺さんが「小僧さん、小僧さん、どこへ行く」と聞いてきたので、小僧さんは悠然と「西方浄土に行く」と答えました。すると、そのお爺さんが「西方浄土に何しに行く」と切り返してきたので、小僧さんは思わず「豆腐を買いに行く」と答えてしまいました。

これは、所詮借り物の言葉では役に立たないという笑い話のようですが、別の視点から見ると全く違った意味合いが込められています。

それは、まずこの小僧さんは豆腐を買いに行くことが仏道そのものであることに気づいていないようです。仏道つまり西方浄土をよそに見ているのです。このことを何とか悟らせようと門前のお爺さんと和尚さんとがほとんどグルになって策を弄していると見るのです。そうすると、この二人の息が実にピッタリなのがわかります。

門前のお爺さんは毎回毎回徹底的に同じことを聞くのです。「どこへ行く」と。ついに業を煮やした小僧さんは和尚さんに相談するのですが、和尚さんは「西方浄土に行く」と返答するように言います。小僧さんは和尚さんに教えられた通り「西方浄土に行く」と答えるのですが、すかさず「西方浄土に何しに行く」と切り返えされ、全く想定外のことに頭の中が真っ白になった小僧さんは、思わず「豆腐を買いに行く」と答えるのです。実は本人は知らずして、無心でこの西方浄土に対する満点の答えをしているのです。

現実世界にはたった今しか存在せず、寝たり起きたり、泣いたり笑ったり、豆腐を買いに行ったり、即今のこの身以外に西方浄土は有り得ません。西方浄土がよそに無いと見破ったのが仏で、西方浄土をどこまでもよそに見ているのが凡夫です。

毎日通勤し、あるいは掃除して洗濯して、買い物に行く。西方浄土はそのこと自体なのです。
                                                           



   東 照 だ よ り   平成21年7月

仏縁と蓮華色比丘尼

仏教で説いているのは、「因縁」つまり原因と結果による因果
応報それだけです。原因があれば必ず結果が生じます。そしてその結果は即座に新たな原因となります。我々の人生および一切のものはこの因縁によって出来ているのです。しかし、人は皆「自分」というものがあってその自分が様々な経験をしているのだと思っていますが、そうではありません。例えば今「東照寺だより」を読んでいる「自分」も、「東照寺だより」の発行がなければそのような自分は存在し得ません。つまり、ちょっとした因縁によってどうにでも変わるのが自己の正体なのです。

因縁あるのみで「自分」といったカタマリなど無いにもかかわ
らず、人はそれを妄認し執着しそこに地位や財産など色々取り込もうと努力します。しかし本来無いものに取り込む事は不可能です。一時的に取り込みに成功したかのように思えても必ず失敗します。何故なら人は死ぬからです。

それゆえに人生に於いてやるべき事は、いかに良い因縁を作る
かに尽きるのです。そしてその為にはすこしでも(正しい法であり最上の因縁である)仏縁に触れておく必要がどうしてもあるのです。

この仏縁について面白い話が有りますので紹介しておきます。

昔、釈尊在世中のお弟子に蓮華色比丘尼(れんげしきびくに)という尼僧があって、信者のご婦人方にしきりに出家の徳を説き、出家を勧めていました。しかし婦人たちの返答はいつも同じで「確かに出家は尊いことですが、私たちは未だ年も若く綺麗でもあるし、また仏の戒も完全に守れそうにないので、当分見合わせましょう」といったものでした。

すると、蓮華色比丘尼は「仏戒を守れなければ、破戒してもよ
いから出家しなさい」と言うのです。婦人たちが驚いて「破戒すれば地獄へ堕ちるではありませんか」と反問すると、比丘尼は「堕ちる時には堕ちてもよいから出家しなさい」と答えるのです。婦人たちは「地獄へ堕ちないために出家苦行もするのではないですか、それを堕ちてもよいからとは全くお心が分りません」と言いました。

そこで、蓮華色比丘尼は自分が過去生の些細な因縁(仏縁)か
ら仏道成就に至った今日までの因縁を説いて聞かせたのです。

それは、「実は、私は三生前は遊女でありました。それがある
時客を喜ばせる為に戒を受け仏袈裟を着けて出家のマネゴトをしたことがあります。すると、戯れで仏袈裟を着てこれを汚(けが)した罪により死んで地獄に堕ちました。しかし地獄の因縁が尽きると再び人間界に生まれることが出来ました。しかも今度は戯れとはいえ戒を受け仏袈裟を着けた功徳により貴族の家の美人に生まれかつ出家することが出来ました。しかし、貴族であり美人であった為に破戒無慚の生活をしてしまい、死んで再び地獄に堕ちたのです。その後この地獄の因縁も尽きると、かりそめにも過去二生も出家受戒した功徳によって、今度は釈尊ご在世中に生まれることが出来、釈尊のもとで出家修行してついに仏道成就することが出来たのです。」と、いうものでした。

この蓮華色比丘尼のように、三生前の戯れ事とはいえ、ちょっ
とした仏縁に触れたことが大原因となって、現在こうした結果を生んだことを思えば、今生において少しでも仏縁を結んでおくことの大切さが分るかと思います。
                                     






































   


    東照だより   平成21年3月

迷 信

ある時、寺の住職と小僧さんが餅を焼いておりました。するとそこへ用事でやってきた檀家総代が、これを見て「何ということを。今日は厄日で、こんな日に餅を焼くなんてとんでもないことですよ」と言うので、住職は「いやー、そうでしたか」と言って、小僧に命じて餅を片付けさせました。

そして、ひと通り話が済んで総代が帰ると、住職はまた小僧さんに餅を持ってくるように命じ、再び餅を焼き始めました。小僧さんはビックリして、「さっき、総代さんが今日は厄日だと言っておられましたよ」と言うと、住職は「ああ、厄はさっき帰っちゃったよ」と言ったそうです。

仏法では、道理に適った「正信」に対して、このような厄日だとか、縁起が悪いといったものはすべて「迷信」としてそういったものに囚われてはならないと説いています。

しかし、現実には世間一般の仏教行事の中にはかえって数多くの迷信があふれているように思えます。例えば「友引」の日には葬儀を行なってはならない。なぜなら「友を引く」からだとか、実にまことしやかに言われていますが、この語源は「共引(引き分け)」から来ていて、「友を引く」などと言う意味はもともと全くありません。語源を辿るまでもなく冷静に考えればこれが単なる語呂合わせの迷信に過ぎないことは明白なのに、なぜか人々はこういったものについ囚われてしまいます。

そのほか、葬儀の時の花は白色であるとか、ご遺体は北枕にするとか、口には末期の水を含ませなければならないとか言われますが、これらもお釈迦さんが亡くなられた場所が、白い沙羅双樹の林の中で、体を北向きにされ、亡くなる直前に水をお飲みになったことから来ています。お釈迦さんの徳を慕い、葬儀の際にお釈迦さんと同じような状況を演出しようとしたのがそもそもの始まりなのですが、これが「しきたり」として定着し、さらに時間が経って次第に「迷信化」してくると、そうしなければ災いがあるとか、成仏できないとかメチャクチャな話になってきます。もし南向きで亡くなられたら「南枕」になっていた訳で、北向きに意味があるわけではありません。

仏法に不思議無しで、こういった妙な「しきたり」に対しては、それがどのようなところに由来しているのか、また単なる迷信ではないかをよく見極めた上で行動して行く必要があるように思います。

お釈迦さんの時代にこのような「しきたり」が存在しなかったように、そのようなものが全く存在しないのが本来の姿です。

とはいえ、ことごとく「それは全くの迷信です」と切り捨てて、角を立てて回るのではなく、この餅焼きの住職のように、よくわかった上で「いやー、そうでしたか」と状況に応じてはそれに従い、かといって本人はそういったことに全く囚われていない境地が必要なのだと思います。                                      

     







































































      東 照 だ よ り   平成19年9月

 戒名と受戒について                           

戒名とは「仏の戒」を受けた人に授けられるものですが、その主旨はたとえその戒を百パーセント実行出来なくても、すでに仏の位に入っているのでこれまでの俗の名前ではまずかろうというので、仏教的な意味のある漢字を選んでお付けするものです。

では、どうして「受戒」の儀式を行っただけで仏の位に入るのかというと、それは例えば何も知らない赤ん坊であっても、家督相続の儀式を行えば、その時点で富豪の家の堂々たる相続人となるようなもので、家の財産状態や、何人の使用人がいるかなど全く把握しなくてもたちまちその家の主人となり得るからです。富豪の主人としての素養や財産の把握はその後に追々時間をかけて行えばよいのです。

したがって、この仏法の家督相続ともいえる「受戒」の儀式は一刻も早く、まず受けることが極めて大切なことになってきます。

ところが一般には葬儀のときにこれを行っています。葬儀の中心はまさにこの受戒の儀式なのですが、これは当人が既に亡くなっているので仕方なく僧侶が一方的に遺体を前にして戒を授けているのです。これも本質的には受戒の効用が欠けることはありませんが、やはり生前に少しでもその意味を理解し受戒をした方がより深い仏縁となることは言うまでもありません。

ところで、「仏戒」というと、その言葉のイメージからなにやら厳しい規律やいましめのように感じられるかもしれませんが、そうではありません。仏戒とはまさに仏の悟り、仏法そのものなのです。

戒の根本にあるのが三帰戒で、「仏・法・僧」の三宝に従いなさいということです。「仏・法・僧」というと、一般にはお釈迦さんとその教え、そして坊さんと理解されているようですが、仏(ほとけ)とは「ほどける」から来ているように、人間の余計な理屈がほどければ、この宇宙はそのまま無我無心の丸出しだということです。ちょうど宇宙を一枚の写真に収めたようなもので、どこにも境界などなく、名前や宗教・哲学などの余計な理屈は微塵も付いていません。全く手のつけようのない純真無垢が本来の姿で、これを仮に名づけて仏というのです。

法とは因果の法則のことで、もともと純真無垢のこの仏(宇宙)は無我ゆえに、さまざまな因縁(因果)に応じてありとあらゆる形になって現れるということです。つまり犬は犬に生まれる因縁によって犬となり、人間は人間に生まれる因縁によって人間となるのです。また、最初から善人とか悪人とかがあるのではありません。人は因縁によって(環境や教育ひとつで)善くもなれば悪くもなるのです。

そして僧とは坊さんだけに限らず、この仏が法によって千変万化していることを知って、この道理に従った正しい生活をする現実の姿のことをいうのです。

しかし人々は「すべては因縁のみで、一切は無我である」ことを知らず、因果必然の道理を軽んじ、実我を作りあげ、俺の金、俺の土地、俺の権利と、真理に背いた悪業三昧の生活を(悪とも知らずに)行っています。

このような中にあって、より良い因縁となる無我の善行を積んで止まない生き方を目指すのが仏戒です。

ですから「受戒」とは誰もがこの道理を無条件に受け取ることのできる実に尊い儀式なのです。






























































      東 照 だ よ り   平成193

無我と三時の業

無我というと、よく坐禅会で「なかなか何にも考えずにおれません。」とい う人 がありますが、無我とは何にも考えないことではなくて、読んで字の 如 く、我が 無い、つまり自分が無いということです。そういうと、「い や、自 分はちゃんと ここにあります。」と反論されるかと思いますが、 はたして赤 ん坊の時の自分は 一体どこへ行ってしまったのか、先ほど別 の部屋に居た自 分は、そして焼けば灰 になるこの自分とは一体どれが本 当の自分なのかと考 えをめぐらしたとき、どこ にもこれこそ正真正銘の自分ですと言い切れるカ タマリが無いことに気が付くは ずです。つまり、あるのは因縁によってあら ゆる形に変わっている事実があるだ けで、自分があると感じているのは実は 錯覚にすぎないのです。

しかしほとんどの人はこの錯覚の「我」を認めて、「おれの土地・金・名誉」などといった生活に終始しています。そしてこれが実は真理に反する行為のためにすべてが悪因縁となっていることを知りません。たとえボランティアといえども少しでもこの「我」を認めればたちまち悪となります。

無我のとき、すべては一切のための活動となり、その中で状況に応じてベストを尽くしていくことが良い因縁作りであり、これを仏道といいます。

良い因縁は良い結果を生み、悪因は悪果を生むことは紛れもない事実です
それゆえに、この人生でやるべきことは、無我になってひたすら良い因縁を作り、悪い因縁は断っていくことに尽きるのです。

ただここで、良いことをしてもその結果がすぐに現れない場合があります。真面目に生活しているのにあらゆる災難や不幸が訪れたりすると、この世に因果の道理も神も仏もあるものかと思いがちですが、それは原因が結果となって現れるのに三つの種類があることを知らないからです。そのひとつは、結果がこの世ですぐに現れる場合で、例えば悪いことをやって警察に捕まり、刑務所に入るといったケースです。もうひとつは、この世では現れなくて次の世に現れる場合で、警察にも捕まらず一生いい暮らしをしてシメシメと思っていてもそうはいきません。必ず次の世で報いを受けることになります。さらにもうひとつは、次の世でも現れず、その次の世でも現れず、さらに後の世でその結果が現れる場合です。これを「三時の業」といい、要するに原因があれば結果があるという因果の道理からは絶対に逃れることはできないということです。

したがって、不幸に対してそれを社会のせいにしたり自暴自棄になったり、今だけ良ければよい生活をすることは新たな悪因となるので、幸・不幸に一喜一憂せず常に真っ正直に生きることが肝要です。

少なくともこの無我と三時の業をよく納得すれば、自分の我欲に執着した生活や、明らかに悪いことなど絶対にできるはずがないのです。


        東 照 だ よ り    平成18年9月

坐禅について

坐禅というと、足がしびれるとか警策(きょうさく)で肩を叩かれるといったイメージばかりが先行し、私にはちょっと無理そうだと敬遠する人もありますが、坐禅は決して足を痛めたり苦しみに耐えるといった修行ではありません。坐禅は「安楽の法門」と言われるように、特に難しい芸を身につける必要もなく、要は坐るだけの実に簡単な修行なのです。
では、なぜ坐るのがそれほど有効な修行になるのかというと、我々は通常、仕事をしたり動き回っているときは、勝ったの負けたの、損した得したと、そんなことばかりで頭が一杯の生活を送っています。しかし、坐ってみると、なぜそうなのかは分かりませんが、精神が落ち着くに従って今まで打算や損得で動いていた頭が、次第に何が本当なのかという風に変ってきます。誰しも自分が本当に得心したところに従って生きることほど爽快なことはありません。
昔、インドに演若達多(えんにゃだった)という絶世の美女がいたそうで、自らもそれを自慢に思い毎日鏡に向かっておりました。ところがある日、鏡が曇っていたのか自分の顔が映りませんでした。演若達多はこれはきっと誰かが自分の美貌に嫉妬して盗んだに違いないと思い込み、「私の顔はどこだ。私の頭を返せ。」と町中を走り回ったそうです。周りの人たちが「ちゃんと頭は付いているじゃないか」と諭しても、大混乱で走り回っていて全く聞く耳を持ちません。いつまでも放って置くわけにもいかないので仕方なく数人で取り押さえて柱にくくり付けました。最初は柱にくくり付けられながらも「頭がない」と叫び続けていましたが、そのうち2時間3時間と経つとさすがに気持ちも少し落ち着いてきました。そこで、頃合いを見て、ある人(相当見識のある人なのでしょう)が、「どうじゃ」と聞くと、「私の頭が無いのです」と答えたので、すかさず「ここに有るじゃないか」と演若達多のほっぺたを思いっきり引っ叩きました。思わずほっぺたを押さえた演若達多が「有った」と涙ながらに得心したという話があります。
ただの滑稽話のように聞こえますが、この逸話は多くのことを暗示しています。まず、演若達多が他人から美人だと言われ、何の疑問もなく鏡を見ているのが世間一般の人の姿です。そして頭が無いと騒ぎ始めたのが、人生・自己に対して大疑問を持った時です。しかし、走り回っている時はなかなか本当のことも受け入れることが出来ないものです。そこで柱にくくりつけ座らせる。これが坐禅です。頃合いを見てほっぺたを叩くというのは、気持ちが純真で素直になったときの指導者の一句や一喝、また警策のことです。「有った」というのが悟りです。
顔が「有った」と分かったからといって、以前と比べて何ら変ったところはありません。しかしこれは自分が一度白紙になって真剣に求めた上で本当に得心した顔であって、以前の顔とは全く違うものなのです。
坐禅はこのように自分が人生に対して大きな疑問に向かい合ったとき、自らが本当に得心できる確かな答えを見出す実に簡単なとっておきの修行なのです。一日に5分でも10分でも実践され、少しでも快活な人生が送れますことを願っております。

       東照だより  平成18年3月

提婆達多尊(だいばだったそん)

 人はとかく自分の境遇がうまくいかないと、お前のせいだ、社会が悪いと怒りをぶつけたりします。ことに昨今の若い世代は権利意識と批判教育のためか、益々そういった傾向にあるように思えます。
 先日、ある高校の卒業式で話をする機会がありましたので、東照寺にお祭りしてあります提婆達多尊について話をしました。
 ご存知の方もあるかと思いますが、この提婆達多は釈尊のいとこに当るのですが、当時としては新興宗教であった仏教を徹底的に排斥し釈尊の命まで付け狙った人物であります。ある時、石を転がし釈尊に怪我をさせたことがあり、仏身を傷つけた罪で今でも地獄に落ちていると言われています。

 では、一体どうしてそんな人物をお祭りしているのかというと、実は、釈尊がお説きになった「提婆達多品(ぼん)」というお経の中に「提婆達多が善知識が為なり・・・」という一節があります。今、自分がこうしてあるのは提婆のお陰だと書いてあるのです。
 つまり、提婆がいた為に一瞬も油断することなく、常に気を引き締め、よって修行を円成することが出来たというのです。

 話を現代に戻してみても、物事がうまくいかないときに、「あいつが居るからだ、あいつさえ居なければ」と思うのはとんでもない考え違いで、そういう人物があってこそ自分の本当の成長に役立っているのです。

 似たような逸話に、戦国時代に豪傑として知られたある武将の話があります。その武将は実に腹の坐った大男でしたが、毎日夕刻になるとお宮にお参りに行ったそうです。周りの人が、やはり見かけは豪傑でも心の奥底では気弱なところもあって何かしら神様にすがることがあるのだと思い、一体何をお願いしているのか、ある晩ソッと後ろからついて行ったそうです。そして、その頼んでいる内容を聞いてビックリした。「我に百難を与えたまえ」と拝んでいたのです。
 人は通常、神社仏閣にお参りするとき、「災難が来ませんように」と願い、常にビクビクしながら生活しているわけですが、このように「百難を与えたまえ」という人にとっては、1つや2つ、いや20や30災難が来てもそれは全く災難とは言えないし、はたしてこのような人に災難というものがあるのだろうかという思いがします。
 お彼岸とは、迷い苦しみの世界から絶対安心の岸に到着することですが、実は災難から逃れようとジタバタするのでなく、多少ともこの決心さえあれば既に岸に到達していると言えるのはないでしょうか。